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日本のマスコミ
 半月くらい前だったかしら、ノーベル賞受賞者の小柴さんと田中さんが、小泉首相から何か国民栄誉賞か何か受け取ったのよね。その時にマスコミが映した映像は、小泉さんと小柴さんは軽く握手をして、賞を手渡し、田中さんの時は、小泉さんが長い間田中さんの手を握って離さないでカメラマンの方に笑顔を向けていたのよ。田中さんの発明も凄いかも知れないけれど、小柴さんのニュートリノって凄いものなのよね。
 ノーベル賞に差があるわけじゃないのだから、日本のマスコミが、田中さんばかり追いかけるから、小泉首相の態度までそれに順応して差を付けてしまうわけでしょう。
 エコヒイキしてはいけないのよ。小柴さんという人間の人格が完成されているから、不快な顔を見せたこと無いけれど。まるで田中さんの方が金メダル取って、小柴さんの方は銀メダルだったような扱いじゃない。失礼を通り越して無礼よね。
 この現象はノーベル賞を受けに行ったときからでしょう。成田に帰ってきたときだって失礼だし、マスコミがこんな無礼をしてもそれを是正できる人が居ないと言う今の日本は、どうなっちゃってるんでしょうね。
 各マスメディアのお偉い方達!現場に出て取材する部下の品性や、人格、教養の範囲をもっと知るべきだわよ。もっと積極的に指導できないのかしら。芸能人追いかけるのと少しも変わらないミーハー的感覚で、ノーベル受賞者を追いかけるって言うのは、我がミーハーネコ・ババにはどうも合点がいかないのでございますよね。
 報道の自由があるなら、報道の責任もあるでしょう。
 自由と責任は背中合わせのものだと思うのよ。
 色々な報道の中で、逮捕された犯人の幼少時代からの色々なことを探り出してきて、世間に流すのよね。その人があらぬ誤罪であったと解ったときには、その人は既にみんなのさらし者になってしまっていた、何て事いっぱいあるじゃない。その為にその人の将来が、色眼鏡で見られ続けるって事になるのよ。
 政治家とか、スポーツ選手とか、芸能人などは、私的顔と公的顔の区別を、何処で付けたらいいのか分かり難いところがあるわよね。そして彼らは公的顔があるために普通の人より高額な収入を得ているわけだから、公共の電波に乗せられて、ある程度、私的生活も犠牲にしなければならないことも仕方がないと思うのよ。それが嫌なら、芸能人やスポーツ選手や政治家にならなければいいのだから…。
 でも学者とか一般人は、マスコミに曝されるために働いているのじゃないし、それだけ犠牲を払えるほどの収入も得ているわけじゃないと思うのね。マスコミの人達が一生懸命取材して、それを私達が知識の一つとして人生の指針にすることがあるわけでしょう。
 特に報道関係は、だからこそ日本人の知的水準を向上させるためにも、偏りのない常識的な取材をして、報道して欲しいのよ。本を読む時間がない人達だって沢山居るわけでしょう。そう言う人達はテレビやラジオなどの、報道を鵜呑みにしてしまいがちなのよ。
 事実だけを淡々と報道するってのがないのよね。大抵キャスターとか言う人の意見が何となく織り交ぜられていて、それがあたかも民衆の総意である可のように報道されるって言うのは、ある意味では洗脳に近いと思うのよね。
 とにかく、小柴さんと田中さんの扱いは、明らかに差を付けたと断言して良いわね。そしてこれは年功序列(日本社会で大好きな仕組み)としても逸脱しているし、功労者に対する礼儀も欠いてると思うのね。小柴さんが穏やかにされているのだから、私ごとき人間がとやかく言うこともないとは思うのですけれど、一国の首相さんまで、影響されるのですから、怖いですねえ。
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