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男と女、そして恋と別離
 この世には雄と雌が互いにくっついて新しい子孫を残すように、造られているのよね。
 動物は生殖可能な時期が来れば相手を見つけて、彼らの方法で子孫を残しているけれど、人間は育つ過程で、法律だとか道徳観念だとか、教育だとか、趣味だとか、相手を選ぶ制約が凄く多いのよね。蛍のお尻が赤くなるように、人間だって時期が来ればパートナーを捜してしまうのよ。今の若い人の悩みって恋愛のことがほとんどでしょう。昔のように意にそぐわない家に、貧乏であるが故に奉公に出される…。なんて悩みはないわよね。仕事だって自分のやりたいことを自由に選んでいるしね。
 自由に選んでいそうで 選べないのがパートナーなのよね。
 私は結構運命論者なのよ。だからパートナーも決まってると思うのね。決まってると言うことは自分では選べないって事なのよ。素晴らしい人に出会えたらそれは宝くじに当たったのと同じで、自分の運の良さを神様に感謝しないといけないと思うわ。
 パートナーが見つかったら後は運じゃないわよ。それこそ「努力」のに文字だわよ。「忍耐」とも言うかもね。
 自分の話を少しすると、大学1年の時に同じくラスの男子と大恋愛をしたのね。クラスの人も、他の人達もみんな知ってしまうくらいお互い恋をしたのね。彼はとても素敵な人だったわよ。別れる理由なんて、何もないのよ。それなのに感じ方の違いというのかな、何かがしっくり行かなかったのね。別れたり又お付き合いしたり、何度も繰り返して、結局6年間お付き合いした結果、私が他へお嫁に行ってしまったのね。
 彼のこと大好きだったし、今でも良い思い出だと思えるの。「それが何で他の人の所にお嫁にいけるんだ」って言われたら、「どうしてなんだろう」って、自分でも思うし、今でも明確には答えられないわね。彼は最後に「お宮寛一のお宮と同じだ」って私に言ったのよ。
 「ダイヤモンドに目がくらみ」ってあれね。でもそんなこと関係ないし、結婚してから自分で一生懸命働いたのよ。でも彼は、私が彼を選ばなかったと言うことで、きっと嫌な女だと今でも思っているでしょうね。どんなに恨まれても、あの時何故他の人を選んだのか、答えはないのよね。
 結婚した人とはほんの数ヶ月お付き合いしただけで、即座に結婚になってしまったの。無責任と言えば弁解の使用もないけれど、今となっては仕方ないし、私の運命は付き合っていた彼と結婚できない運命だったとしか言いようがないのよ。
 だから多くの若い女の子や男の子が恋愛するのも運命だし、その恋愛の相手と結婚しなかったからと言って相手や自分を責めることはないと思うのね。
 悩むのは大いに悩むと良いと思う。悩みが大きければ大きいほど、人間は精神的に成長できるもの。相手を恨んだり、仕返しを考えたり、自暴自棄になったりするのはまったくもって人生の無駄よ。
 何でも考えようで、「素晴らしい恋愛が出来て幸運だったな」と思えばその恋愛も無駄じゃないのね。恋した人と結ばれたら、「自分は何て運のいい人生をもらえたんだろう」って感謝すればいいのね。その感謝を忘れるから、離婚なんて事も起きるのだけど、その離婚も結局は人生にとっては素晴らしい経験なのよ。離婚を経験することによってまたまた成長できるのだから。
 寺山扇一翁さんという方が居るのだけれど、彼なんて末期癌の時に、癌になったことを感謝したって言ってるのね。そして今ではほんとに慈愛に満ちた良い顔になって、人を救うことに努めていらっしゃるのよ。
 癌になったことに比べれば、出会いも別れも、全て感謝できるんじゃない?人生における全ての出来事を感謝できるような強靱なる精神を持つことが、自分を幸福に出来る鍵だと思うのよ。どんなに長い間生きても、出会える人は限られてるのですものね。
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