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四十の手習い
 私がこの国で知り合った人で、日本人なんだけど、彼はほとんど私が移住したのと同じ時期にこの国に来たのね。
 観光関係の仕事をしていたのよ。その彼が40歳の声を聞いたときに、突然日本に帰って本田技研の経営している技術者養成学校に入学したのね。
 1年間の勉強が終わって、彼は学年でトップの成績を取って終了したらしいのよ。ところが、若手の学生達はそのままHONDAの工場なんかに就職できるらしいんだけれど、彼は40歳だから新卒者としての扱いの対象外だと言われてしまったらしいのね。
 日本企業って、あの斬新で思い切りの良い経営を推進してきた本田技研でさえ、トップで卒業するほどの優秀な人材でも、会社採用はしないと言うのだから、保守的な一流企業などは押して知るべしだわよね。(ディーラーの採用基準とか、中途採用の場合は違うらしいけど、車業界に就職したことのないババには良く解らないわ)
 今の40歳って、ほとんど昔の30歳以下にしか見えないほど若々しいじゃない。それなのに自分の能力を発揮できる会社が無いというのも本当に、先進国として貧しいわよね。
 分野が違うかも知れないけれど、この国のある地方都市の、ライブで唱っていた女性歌手32歳が、中央テレビ局の音楽ディレクターの目に留まって、歌手デビューしたの。そうしたら半年も経たない内に、この国のヒットチャートナンバーワンになったのね。
 日本で、地方のライブハウスで32歳の女性が唱っていたって、誰も目に留めようともしないわよね。
 日本は年齢主義って言うのかな。この国もそうだけど、アメリカやイギリスは実力主義なのよね。だからもちろん実力が無くなれば、いつの間にかお払い箱なんて事にも成るでしょう。それは日本でも同じよね、でも最初のスタートが違うような気がするのよ。
 新卒は受け入れるけど、何年か違うところで働いていた人は駄目とか、これじゃまるで「処女じゃないとお嫁に行かれません」と言う感覚と同じじゃない。
 ただ学校が年齢制限しないで、誰でもが試験を受けられるって言うようになったことは日本の進歩だわよね。最近じゃあ、日本でも80歳になって大学へ行き直したなんて人も出てきているらしいから、素晴らしいわよね。
 「人生って何」って訊かれたら、「自分の可能性の挑戦」と答えたいわね。そしてその可能性の挑戦が死の瞬間まで続けられたらその人生は最高だと思わないかしら。
 そうした生き方が出来る「場」と言うものと「環境」が無くては、ただの理想で終わってしまうのよね。
 でも、実際に絵描きさんとか、陶芸家とか、伝統文化を継承している人達なんかは、死ぬまで自分の可能性に挑戦しているわよね。ただ、このような世界でも、40歳から歌舞伎役者志したからって、そのまま歌舞伎役者として死ねるのかしらね。大体40歳から歌舞伎役者になりたいと言っても、入れてもらえないんじゃないかしらね。
 そう考えるとやっぱり、一概に物事決めてしまえないと言うことで落ち着くのかしら。
 その40歳でHONDAの学校に行った彼は、「結局自営業をするしかない」と言ってるのだけど、彼の年老いた母親は、「自分で仕事始めるなんて、無茶なこと」だと、泣いて止めているらしいけれど…。彼としては就職先がなければ、自分で始めるしかないでしょうね。
 日本の企業家が、もっと幅広い視野に立って、年齢制限や、定年制など止めて、働ける人をじゃんじゃん働かせると良いのよね。定年制って、結局退職金みたいなものの保証が付くからでしょう。根本的制度を変えなきゃ駄目かしらね。
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