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自由と責任と猿のセックス
 自由って何かしら。辞書には、「おもいのまま、心のまま」と書いてあるわ。
 自由主義って言うのは、「束縛を無視し自由活動を旨とする主義」であり、自由恋愛とは、「道徳などを無視した奔放な恋愛」と書いてあったのね。
 私は最近の中年や若者が、目に余る行動をとっているから、「自由と身勝手をはき違えないでよ」って書き出そうと思ったのよね。でも、辞書の解釈を素直に受け入れると、束縛を無視するとあるから、社会という集団生活の中のルール、要するに決まりなんてものは無視して良いという訳なのよね。
 道徳などを無視し、とも書いてあるじゃない。恋愛…男と女、男と男、女と女、人を愛するのに、そこには規則など無視した勝手な愛があって良いという訳よね。
 憲法の中の自由はなんて書いてあるのかしら。憲法第三条に、たしか国民の権利として自由・平等・博愛が唱ってあったと思う。どの範囲の自由とか、どのくらいの平等だとか、どれだけの博愛なんては書いてなかったはずなんだけど。憲法って、もっと色々決まりが細々と書いてあるし、六法全書は、もの凄い厚さで、法律の決まりを制定しているわよね。それ全部守ったら息が出来ないって位にね。
 でも戦後の私達は、この憲法第三条に守られて生きてきた訳なのよね。自由という国民の意識に対して、戦後教育は、個人のモラルだとか、社会的モラルだとか、人間が社会という集団の中で生活する己自身の決まりみたいなものを、作る基礎的な精神指導をしないで、今日まで来てしまったのよね。
 親も解らない、学校も教えない。教えて貰うにも、何処に行たらそんなこと教えてくれるのか解らない。行き着いたところは宗教団体だったりする訳よね。
 私も結構自由に生きてきたから、色々体験したけれど、結局は自由であるための代償みたいなものがあるのよね。自分で自分の法律作っていかないと、結局は自分以外の人達にスゴーイ迷惑かけちゃう事だって有るわけだし。離婚する親が増えていて、私もその一人だけど、子供が居ての離婚てどんなに言い訳したって子供を悲しい思いさせちゃうわけでしょ。そのリスクを考えて尚、自分がソイツから逃れたい、コイツとは一緒に暮らせない、って思うなら離れるのも良いことだと言えるわよね。
 ところで、最近まるで猿山の猿の集団のように、恋愛は自由だとか言って通りすがりにセックスする猿と同じように、あちらこちらとしてしまう人が多いでしょう
 エイズが怖いなんて言ったって、自分はその中には含まれないみたいな顔してね。
 おじさん、おばさんも結構いい年して、お盛んですものね。自分の息子や娘が恋愛三昧したって、叱れる訳ないわよね。何人と恋愛したって良いと思うわよ。でも真剣に恋をして欲しいのよね。真剣に愛して欲しいのよね。
 いい加減て言うことは、「自分勝手」と言うことでしょう。何をするにも真剣に取り組んで欲しいわよね。
 自分の人生は、自分でしか責任取れないんだから。遊んで、恋多くて「淫乱」なんて言われたら、たいていの人怒るわけよ。でもね人様の口には戸を立てられない、と言うじゃありませんか。だから、それも受け止めなきゃね。
 それと、自由・自由って、鼻持ちならない行動をするのも考えて欲しいわよね。
 最後にババ一言、自由には責任が必要です。
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